時は1946年、チハ帝国軍の特殊装甲研究会(トッケ)にて、グリッチの研究が成功したとの報告によりシャーマン合衆国に結果以外の情報が渡った、そして戦争中に鹵獲したチハ2輌の装甲を少し切り取り研究した所、チハの装甲と同じ鉄であれば何でもグリッチを起こせる事が判明、シャーマン合衆国側はグリッチを飛ばすのでは無く砲弾にグリッチをまとわせると言う事に成功した。そして1950年に起きたT-34社会主義国との戦争に試験導入した、結果敵の装甲を貫通、その後エンジンに穴を開けて敵戦車を行動不能にする大戦果を挙げて、実用性がある事が判明、鹵獲したチハが転輪とエンジンだけになるまで生産することが決定、そうして初期生産の500輌を導入した。量産型は、連射性能を上げる為に主砲の左下に20mm機関砲を設置して、そこからグリッチ弾を発射すると言う構造に改造した。そしてチハの装甲と同じ金属をチハ帝国から輸入、後期生産の500輌も完成させ、合計1000輌のグリッチ弾発射可能戦車の名称はM4A3E8GLITCHに決定した、だか現在エイブラムスにも同じグリッチ弾発射可能戦車の改造を施す計画も有り、それは未だ成功していない