名前 メガゼラルン
読書感想文 この本のあらすじは、主人公が姉と共に、亡くなった祖母の戦争で亡くなった夫の宮部久蔵の手がかりを探すというものだ。その中で色々な人と対話をし、色々な感情を抱いていく。というものだ。最後まで読んだ物語としての感想は伏線が張られていて最後の最後の部分で泣ける作品になっている。テーマは戦争ということで生々しい戦争中の人の考えやシーンも相俟って、対話している人の感情と徐々に明らかになっていく宮部の性格が味を出していると思う。この作品には批判も多いということが調べてみてわかったのだが、その中の半分程度が映画だけを見た感想であるか、本当に読んだのか疑わしいほど内容を読み取れていない感想であった。「戦争美化」と語られることもある作品だが、この本をしっかり読み解き理解した人はほとんどの場合そんな感想は残さないだろう。そもそも宮部は戦争を良いと思ってもいない、そんなことを言っているのは物語の中でも1人くらいである。 この作品は分からないこともいろいろと残されているので、読み取ったうえで、考察をするのも楽しみ方だと思う。宮部の気持ちや登場人物の人生も読者が自由に想像でき、人それぞの物語が頭の中で作られるのだ。表記されていないので分かりにくいものもあるが、想像力がある人にとってはいいと思う。 次にべることだ。もちろん戦争のことも学べると思うが、人それぞれの考え方というのも学べると思う。宮部に対しては色々な登場人物が意見を言っていくが、同じような意見でも何をもってその考えになったのかは違うのである。肯定・否定、恨み・尊敬、などのいろいろな感情をそれぞれ持っているのだ。つまり、人に対して、もしくは物に対して、自分と考えが違うから争う、同じだから見方する。というのは考えは考え方、物の見方によって変わるので、大きく分けて味方・敵と分けるのではなく、話を聞いて共通点と相違点を探してから、また考えるべきだ。ということも学べると思う。 そして僕が一番感動したシーンは終盤の怒涛の伏線回収である。最初から終盤の直前まで積み重なっていた伏線が一つにつながるところは、じっくり読んでいた人は泣かなくとも泣きそうにはなるだろう。僕も伏線とは思わないようなところの話も「そんなところで!?」というところで回収され、驚くはずだ。 因みに僕がこの本を読んだのは、塾の先生に最近本を読んでいることを伝えると、この本を進められたからである。僕はそれでこの本を読んでこの文章を書いているのだ。これはすごいことでもあると思う。僕も色んなことを体験してきた。嬉しいこと、悲しいこと、理不尽なこと。それが合わさって今ができている。これはこの物語の登場人物も同じで、物語内や物語外の人生で色々なことを体験したことで意見を言っているのである。そして僕は二年生になってから、戦争のことを学んだ。この物語の原点であり、終点でもある特攻など、日本の戦争についていろいろ学んだ。最近では世界史や日本史が好きになり、自己学習を趣味としてやっているが。知識だけではなく、このような物語を通して心でも理解することも大事なのだと思った。この気持ちを生かして紅葉祭の劇にも挑みたい。 最後はこの作品のような人物の心情が重要な物語に関することだ, この話は、最初の対話は否定から入る。その話では宮部は「臆病者」として罵られていたが、果たして最初の人物が思っている宮部は本当の宮部なのだろうか、これを読んだ人は多分「違う」と、答えるであろう。では他の人物が話す宮部が本当なのだろうか。僕はこう思う、対話で話された宮部はどれも本物であり、違うのである。すべてとの話を合わせても本物の宮部は出てこない。しかし全てが間違っているわけではない。本当の気持ちはこの本における宮部しか分からないのだと思う。この永遠のゼロを書いた百田尚樹氏も、設定・表面上の宮部の気持ちしかわからないのだと思う。これはすべての物語に言えるが、物語の中の人物は生きて、考えているのだ。この世界も、もしかしたら物語の一部に過ぎないのかもしれないが、それでも生きている。ならば物語の中の人物が生きていても何ら不思議ではない。もっとわかりやすく言うと、作者の書く手の中で生きているのである。そしてその表面を読み取り、裏の面を想像するのが我々読者の役目なのだと思う。