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チームタイサン代表 千葉 泰常さんが死去

ASasakuraaa•Created June 11, 2024
チームタイサン代表 千葉 泰常さんが死去
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ベクター化サイト使用 チームタイサンの代表の千葉 泰常さんが、6月7日金曜日、午後、都内の病院で79歳で死去。 死因はがんで、最近はがんと闘病しながらモータースポーツ活動を続けていた。 彼は電磁ポンプ等を手がける太産工業の2代目社長であるとともに、モータースポーツに憧れ、富士スピードウェイのオフィシャル経験などを経て1983年からチームを率い、JSPC全日本スポーツプロトタイプカー選手権に挑戦するなど、他にもJSPCではポルシェ962Cで4度のタイトルを獲得するなど、最強チームのひとつとして活躍していた。 同時にJTC全日本ツーリングカー選手権にスカイラインGTーR(有名なのは土屋 圭一さんのR32)やM3を投入した。 ル•マン24時間への挑戦もチームタイサンの歴史のなかでは大きな存在。 2000年には初出場でGTクラス優勝を達成して、2001〜2003年、2006年、さらに2014年にもフェラーリで再挑戦するなど、ル•マンはチームタイサンにとっての大きな目標であり続けた。 1994年にスタートしたスーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権では、1995年にチームチャンピオンを初めて獲得。 チームタイサン•チームタイサンJrではGT1とGT500で1回、GT300では7回のチームタイトルを誇ってきた。 特に初年度の1994年には、グループCカーのポルシェ962Cを持ち込んだり、フェラーリF40を持ち込んだりしていた。 ポルシェやフェラーリ、BMW、クライスラーやバイパーといったさまざまな車両でレースを戦ってきた。 2012年には峰尾 恭輔さんや、横溝 直輝の組み合わせでGT300チャンピオンを獲得し、その後はニッサンGT-RニスモGT3を投入。 2016年からはサードとのコラボチームでアウディを走らせ、2018年まで参戦を続けていた。 その後はEVレースやK4GP等に積極的に挑戦するなど、亡くなるまでモータースポーツを愛し、情熱を注ぎ続けてきた千葉さん。 ともに戦った仲間たちを「ファミリー」と呼び愛し、多くのレース関係者に対しても大きな愛情をもって接していた人物だった。 心から哀悼の意を表します…

Project Details

Project ID1035391405
CreatedJune 11, 2024
Last ModifiedJune 11, 2024
SharedJune 11, 2024
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